(3)指導観【読解力向上にかける教師の願い】 社会の急速な情報化や国際化により求められる学力が「生きる力」と提起されてからさまざまな取り組みが行われてきた。このような中、国際的な視座によるOECDの学力調査の中で導入されてきたPISA型の調査では日本の子どもたちの「学習意欲低下」と「リーディング・リテラシー(読解力)の低下」が報告され、今後の教育の改善方向が示されてきた。
このような国際的な背景と目の前の子どもたちの実態を踏まえて、本校では生き生きとした学び合いの姿をめざし、本年度の研究副題をPISA型「読解力」にシフトして「主に国語科で」「主に熟考・評価プロセス」の育成を探る取り組みを始めた。
本校の研究副題のPISA型「読解力」向上が必要であるということは多くの方に同意してもらえると思うが、それが学力調査等の成績向上がねらいなのではなく、あくまでも子どもたちの「生きる力」を育てるためだということを自分なりに納得して授業プランを作っていきたい。そこで指導に当たって授業者のこだわりを以下に述べる。
私はPISA型「読解力」の低下が提起される前から、漠然とではあるが子どもたちの「読解力」についてかなり強い問題意識を持っていた。それは大きく分けると「調べ学習」の場面と「学校での人間関係のトラブル場面」である。
今後PISA型「読解力」を高める取り組みを進めることによって、長期的にはこの2つの問題の原因となっている「言葉」の問題点が改善されることを願っている。
①「調べ学習」の場面インターネットが学校に急速に導入された頃から子どもたちの学校での「調べ学習」は様変わりした。今までは図書館の本で調べるしかなかったのが、パソコン室での「調べ学習」という選択肢が増え、教育の情報化の大合唱に乗せてこの新しい調べ方について実践を盛んに行っていた。当時は「インターネットを使う」「ウェブページから探し出す」ことが最先端の学習法として多くの学校でブームのように実践されたと聞いている。その結果は見るも無残なものが多く、数時間パソコンであちこちをさまよい続けた挙句、読めもしない難しいページを印刷し、それを貼り付けるだけの「調べ学習」が横行した時期があった。このような悩みは国語科の研究会だけでなく、社会科や総合的な学習の研究会でよく耳にした。またテストをしてみると最先端の技術を活用して、自分で調べたにもかかわらず成績は芳しくない。私もそうなのであるが「活動あって学びなし。」の状態であると判断した教師は、やがてインターネットを活用することを敬遠し始めたと見え、そのような実践発表はネット上からほとんど見られなくなった。ここでの問題を私は以下のようにまとめて改善案を実践してきた。
「調べ学習」の三重苦1 取り出せない(情報のピックアップ)
2 わからない (情報の解釈)
3 判断・活用できない(情報の活用)「調べ学習」の問題点と原因意欲的に追究する子と這い回ってしまう子の二極化。
(原因)
・「調べ学習」の基礎スキルを全員に段階的に指導していないこと。
・交流場面、伝え合う場面、他人の目をくぐらせる視点を軽視した学習展開。
・調べるテーマと「自分」とをつながせてから調べさせるプロセスが曖昧であること。「調べ学習」の改善策
・マインドマップや取り出し「マップメモ」の指導を全員に繰り返し行うこと。
・キーワードをつなげて短文を作る「プチ作文」スキルを定着させること。
・クイズやカルタなどのゴール設定をして、友だちと調べたこと(再構成した情報)を確認、活用する交流場面を設定すること。
②学校での人間関係のトラブル場面子どもたちは学校の中で自分ひとりの学習だけではなく、作品を共同制作したり、一緒に学習して交流したりする中で協力の大切さや情報発信の態度などを学んでいる。またたくさんの人が錯綜する中で生ずる様々な人間関係についても多くのことを学んでいる。自分の感情をコントロールする必要性や友だちのことを考えていく重要性はやはり具体的な場面を通してでしか学ぶことはできないのである。
このように人間関係のトラブルは「生の教材」であり、それを教師の助言などでどのように解決、受け入れていくべきかということを子どもたちは発達段階に応じて学んでいくことが大切であると考えている。
しかし、昨今では授業の中で自分の都合だけで行動したり、周りの友達のことを考えず好き勝手な行動をしたりする子が多くなり、毎日大きなトラブルが発生して時には授業が停滞してしまい「学級崩壊」と呼ばれる無法状態にまで進んでしまう学級も多くなってきた。
また、特別大きな問題を起こさない子どもたちの様子も自分の考えを持つ意欲が乏しかったり、友だちに伝える気が起きないという傾向の子どもが増えたりして学習集団の活気や士気が低くなってきていることも大変気になる。さらに日々クラス内のトラブルの中に入って、子どもたちから事情を聞いてみると「わからない」「あいつが」「ぼくだけじゃない」という言葉での返事や、どう言っていいかわからないと言ってだんまりを決め込む子も多くなってきた。そしていざ話を聞けば、「主語なし」「順序ばらばら」「中心点不明」の話が続き、双方の認識がずれ過ぎて話がまったくかみ合わないことも多い。時間をかけて話し合いをしても言葉がつながらないので、人間関係を編み直すことに苦慮することが多い。
子どもたちの言葉が切れている。ここでの問題を、私は以下のようにまとめて改善案を実践してきた。
「人間関係の三重苦」1 考えを持たない(思いつき、その場限り)
2 表現しない (自信がない、こわい)
3 吟味しない (比較・メタ認知の意欲低)「人間関係」の問題点と原因
自分の感情や言葉を出しすぎる子と全く出さないこの二極化(原因)
・読書経験の格差と基礎スキルの習熟度の差が大きいこと。
・生まれてから映像メディアから受け取る情報の量が多すぎる。(受動性、飽和)
・国語科の学習(言葉の学習)が自分の生活と分離していること。「人間関係」の改善策(言葉を育てる)
・良文の暗唱、言葉遊び歌。百人一首ゲーム。視写。読み聞かせ(紙芝居)
・子どもが動く授業システムの工夫。(発表システム、板書システム)
・「主語」「時空間」「順序」「中心点」「仲間わけ」などを言葉を中心に学級経営全般に意識的に取り入れる。
・伝え合う学習の重視。「1対1交流」「1対1プレゼンテーション」
【本単元設定の意義】 子どもたちは毎日多くの言葉を使って生活しているが、4年生という発達段階を考慮してみても、本学級には気になる問題点がいくつかある。ここではよくある学級内のもめごとを例にして二つの問題点を提示し、本単元設定の意義を確かめたい。
一つ目は「話の中心点」が明確ではないということである。もめごとが起きて大騒ぎになった後に、関係のある子どもたち6名ほどが集まって話をする場面を想像してほしい。事情がよくわかっている子が嬉々としていろいろと話を始める。しかし最後まで聞いていても「何を言いたかったのか」がつかめない。
なぜなら今回の事件と特に関係のないことを詳しく話したり、周りで見ていた友だちのことを話したり、時には順序が後先になったりしてしまうのだから聞いている方はたまらない。「何が大事なのか」が見えていないと話は聞けば聞くほどわからなくなるということが身についていないのである。
二つ目は「話のまとまりがない」ということである。大騒ぎになる事件の多くは、第1事件が発生した後に、近くにいた子が面白がって加害に便乗する子と被害にあっている子を守る子が参加してくる。第2事件の始まりである。ここまでくると学級の半数の子が何らかのかかわりを持ち、話は複雑になる。
今回の第1事件の関係者は誰か?加害側に加わった子は誰か?被害側をかばったのは誰か?周りで傍観していた子は誰か?事件を収めたのは誰か?などのまとまりに子どもたちを分けてから、順にまとまりごとに話を聞いていかなければ、事件の真相はつかめない。まとまりを考慮せず、ばらばらと話を聞いていくと聞けば聞くほど収拾がつかなくなり、子どもたちの鬱憤は増大する。これは話をまとまりごとに分けるとわかりやすくなるということが身についていないことによって生ずるひとつの現象である。
上記の2つの問題点はこのようなもめごとについて話す時だけではなく、日々の学習活動や休み時間の人間関係の中で常に子どもたちが直面している切実な問題であると考えている。このような子どもたちに国語科の中で「中心点」「段落」のよさやその機能などを学習させていくことは、学力を付けるだけにとどまらず、望ましい人間関係を作っていくことに大きく役立つと考えている。
つまり本単元の設定の意義は、「段落のつながり」の意味を考える学習の中で、物事の中心点をはっきりさせたり、まとまりを作ったりする大切さをつかませることによって、今まで見えていなかったことがはっきりと見えてくるという変容が期待できるということである。
つまり私の「読解力」に対する指導観を端的に述べると以下のようになる。
子どもたちの「読解力」を高めていく時に意図していることは、「言葉」に振り回されるのではなく、「言葉」で自分たちの学びや生活を作っていく子どもたちを育てることである。したがって「読解力」の指導はその学習内容を子どもたちの生活に具体的につなげていくところまでする必要があると考えている。
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